あの戦争を勉強しよう

高校の頃(すごく昔の話だが)、僕は日本史を選択していたが、はっきりいって日本の肝心なことは何も知らない。

当時、そしてたぶん今も、学校では古代から戦国時代、江戸時代くらいまではやたらと時間をかけるが、日清・日露戦争から太平洋戦争までの最も大事な時代を少しも教えてくれない。

たいてい教科書の最後の方に少ししか書いていないし、そこを勉強する頃は入試が近づいて、しかも試験にはあまり出題されないので、学生の方も通り一遍になってしまう。

でも、聖徳太子や豊臣秀吉、そんな昔の話は教養としては大事かも知れないが、本当に大事な歴史はもっと近くにある。

今日は、広島に原爆が落とされた日だ。

先人たちの礎の上に、僕たちの生活がある。

僕たちは、自分で歴史を勉強しなくてはならない。

今年の夏は、東京裁判の勉強をしようと思っている。

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5 件のコメント

  • 1945年8月15日、私は小学校(正確には国民学校)の二年生でした。お昼に近所の人たちと一緒にラジオを聞きました。雑音や難しい内容で意味は判りませんでしたが、午後からは防空壕堀はしないから手伝わなくていいといわれ、嬉しくなって蝉取りに行きました。とても暑い日でした。今年、8月9日の11時2分、長崎の原爆落下中心地で大瀬の人達と一緒に天主堂の鐘、市役所のサイレンの音を聞きながら黙祷していました。暑さと悲しさで顔がくしゃくしゃになりました。平和記念公園は機動隊がいっぱいいて行けませんでした。コイズミさんが来るからだそうでした。右翼の車が沢山大音量で『海行かば』をならし何か叫んでいましたが、機動隊員は見ているだけでした。どこの国でも、どんな理由があっても、戦争はいけない事と思います。私は日本があの戦争を起した責任は本当は誰にあるかを考える事が大事ではないか、と思っています。東京裁判を勉強しようと思われたのは素晴らしいことと思います。戦争責任や罪の無い多くの国民が非業の死を遂げなければならなかった真実にきっと近づくことが出来ると思います。

  • 戦争責任が誰にあるのか、というのは難しい問題だと思います。日本は、ドイツやイタリアのように一部の指導者が盲目的に選択した戦争ではないと思います。
    官僚主義の指導者、メディアに踊らされ熱狂した国民、そこに確かに責任はあったでしょう。しかし、私はそうした時代のなかで、日本のために亡くなられたすべての方に手を合わせます。あの戦争を忘れないこと、歴史を正しく学ぶこと、私はそこから不戦を誓いたいと考えています。

  • 特定の何人かでは無いにしても、戦争責任は誰か(誰達か)にある事だけは間違いないと思います。大本営発表で大東亜共栄圏、一億一心、鬼畜米英など教え込まれ我が国だけでなく、近隣の諸国にも多くの犠牲者を作ったあの戦争にはどこかに責任はある筈です。日本のためだけではなく戦争で犠牲になった全ての人達に手を合わせ、平和を希求し続けるためにも、歴史を学びたいものです。近、現代史は評価が定まっていないから、積極的に教える事をしない様にしていると、元・教師から聞きました。国の方針のようです。私は疑問に感じています。受験問題からも遠ざけている模様です。

  • 戦争責任は誰にあって、誰にないのかという問題に答えるだけの歴史観を語るには、私はまだ無知に過ぎます。ただ、子供たちには戦争の歴史をきちんと教えて欲しいし、貴い犠牲の上に今の日本があることを理解して欲しいと思っています。

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