長い一日、短い一生

電波時計を見ながら、腕時計の秒針を合わせていると、1分はたいそう長く感じる。

過ぎるのを待つ時間は、長く感じるのだ。

母が亡くなる前、1日が長い、と言っていた。

あといくらも生きる時間は残っていないのに、大切な1日を長く感じながら過ごしていた。

 

私は内科医なので、担当する患者は手術のできない、進行した癌の患者が多い。

手術ができなければ、抗癌剤の治療をすることになる。

抗癌剤の治療がずいぶん進歩したとはいえ、進行した癌を治すことはできない。

抗癌剤は命の時間を延ばす治療で、完全に治す治療ではない。

3ヶ月でも生存期間が延びれば、学会では「有意差をもって、延命効果がある」と報告される。

 

しかし、ベッドに寝たままの数ヶ月を何をして過ごせばいいのだろう。

旅行でも、何でも、好きなことをしていい、と患者には言う。

しかし、自分の身になれば風邪でさえ出歩くのがつらいのに、

まして、癌を抱えては、何をする気力も体力もないだろう。

もう少し体調が良くなったら外出したい、と患者さんは言う。

しかし、その仮定は実現しない。体調は良くならず、下り坂しか先にはない。

それがわかっている周りの人間はあせる。

わずかな残り時間に少しでも何かをさせてやりたい。

そして、今日一日の過ぎてしまった時間に苛立つ。

 

健康な人間は、病気の人に自分の価値観を押しつけてしまう。

元気な人間と同じように、患者の残された時間の使い道を考える。

しかし、それは病人の価値観ではない。

秒針が動くのをじっと見つめるように、ただ、患者に寄り添うことも、

大切な時間の過ごし方なのだと、最近、ようやく思えるようになった。

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