年寄りと子どもの顔が見えない国

先日、町内の夏祭りがあった。

子どもたちは駄菓子やくじを買いに、大人は焼き鳥とビールが目当てである。

ささやかな催しではあるが、自治会の準備は大変である。おかけで、たくさんの子どもたちのはしゃぐ姿を見ることができるのは、本当にありがたいと感謝している。

年配の自治会の方と、子どもたちが触れ合う機会と考えれば、この小さな夏祭りも意義がある。

近頃は、子どもが虐待されて殺されたり、100歳越えの高齢者が大勢行方不明になっているニュースが続いている。

隣で子どもが虐待されていても、一人暮らしの年寄りが亡くなっても、気づかない社会。もはや、コミュニティが機能しない国。

子どもが遊ぶ姿を、高齢者が慈しむ、そんな国が豊かな国だと思う。
 

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2 件のコメント

  • 暑い毎日です。
    町内祭りがある地域にお住まいの貴方が羨ましい限りです。
    私たちが住む町内では、せいぜい子供会、老人会の存在がせめてのコミュニティの場でしょう。これさえ、一部のグループ活動の域を出てないと思います。
     子供に関して言えば、月に1、2度町内放送される「登校時の交通安全等安全に関するお願い」が、中途半端で一方的なコミニュケーションでしょう。
     幼い子供の置去り、老人の放置、心痛むばかりです。何時からこのようにな社会になったのか、責任は何処に、色々問われていますが、私は、常常自己責任不履行が大いなる原因と思っており、事あるごとに不愉快になります。
    自分の子供を育てること、年老いた肉親を看取ること、最低限の自己責任でしょう。
     そうした中で、貴方の云われるコミュニティが機能する社会の復活、豊かな国が再建される筈です。
     ちなみに、小家では、91歳になる母を抱えておりますが、嫁さんが孤軍奮闘、頑張って呉れており、感謝感謝です。老婆不明リストには、載らないでしょう。
                                              呉の退屈男
                                     

  • コメントありがとうございます。
    最近では、核社会がさらに小さくなった、核分裂社会になりました。若い人から、高齢者までが、1人で暮らす時代です。
    そこに欧米流の個人主義が浸透して、わがまま、自分勝手な社会へ変化しています。本当の個人主義は、個人が利益を追求した先に、社会に還元していくということのなのですが、そこのところが欠落していると思います。
    先日、見学に行った老人ホームは、同じ敷地に一般にマンションが建ち、中庭を老人ホームと共有するようになっていました。老人ホームの食堂からは、子どもたちが中庭で鬼ごっこをする姿が見えました。
    それは、夢のような光景で、こんな社会ができるんじゃないだろうか。そんな思いで眺めていました。

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