夢中の母

母の日

先日、ひさしぶりに母の夢を見た。

私の母は、がんで亡くなり、7周忌もとっくに過ぎた。しかし、夢のなかの母は、なぜだか認知症を患っており、どうやら、私は白衣を着て、彼女の主治医をしているようだ。

母はすっかり呆けていて、僕のことも誰だかわからない。私が診察にいくと、いぶかしそうに、こちらを見つめて、意味にならない言葉を繰り返している。

母は肺炎をこじらせており、主治医の私の態度が気に入らないようだった。そして、「あんたみたいな医者には、診てもらいたくない」と吐き捨てるように言うのだ。

久しぶりに夢で会った母は、私に何を言おうとしたのか。

高齢化がすすんで、病院には重度の認知症の方が肺炎を起こして、たくさん入院してくる。ふつうは胃に入るはずの食物が、誤って肺に肺って起きる、誤嚥性肺炎が大半だ。

誤嚥によって起きる肺炎は、若い方がかかる肺炎とは違い、脳の機能が低下し、きちんと食物を飲み込めなくなるのが原因で、嚥下という脳の基本的な機能が衰えていることを反映している。いわば、老衰によっておきている肺炎だから、治らないし、再発を繰り返す。

言葉をかけても返事のない認知症の患者さんに、私の態度は誠意を尽くしているのか。

夢の中の母は、それを教えに会いに来たのだろうか。

2 件のコメント

  • 私は49歳になる会社員です。私の母も十年前に他界いたしました。父は私が中学1年の冬に心筋梗塞で他界しております。母の死因は多発性骨髄腫です。母はクリニックにかかり当初は背中が痛いと整形外科にかかり骨粗鬆症と診断をされ1年がすぎ症状も改善されず酷くなってきたためセカンドオピニオンで地域の医療センターに診療をうけ、多発性骨髄腫の診断を受け余命1年と宣告されました。もっと早くにセカンドオピニオンすればよかったと後悔の念で仕方なっかたですが、しかし時は待ってくれません。今できることをしてあげたく私は余命を母に告げず美味しい物を食べて楽しくよく笑って過ごせば良くなると告げました。それを励みにか母は宣告から5年間入退院を繰り返し生涯を終えました。 今も思いますがその時の感情だけでなく今自分が生かされていることを感謝し感じながら心を持って、これからも人に触れて生きようと思いました。先人達からも習うことが沢山ありこれからも精進しなくてはいけないことを実感しております。常に「今の自分はちゃんと出来ているか?」と感じていますが、その心を持ち続けることが一番大切であると思い日々過ごしております。
    また、先生の「夢中の母」の最後の言葉に私も同様の体験がございました。日ごろからの母上様への感謝と尊敬の念が感じ取られる言葉で先生のお人柄がお伺え失礼ではありますが親近感をも感じております。心に感じましたのでコメントさせていただいた次第でございます。先生の今後の更なるご発展を心より念じております。
     乱筆で大変申し訳ございませんでした。

    • 山本さん、コメントありがとうございます。
      今になって、私は母親が好きだったのだなと思います。
      医者として、人として、悩みながら今を生きる自分に光を照らしてくれるのは、
      やはり親なのですね。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です