桜は、また、咲く

受験を終え、街中には新入学に向けて準備をする子どもと親であふれています。家電量販店には、冷蔵庫や電子レンジ、使うかどうかわからない炊飯器や掃除機を選び、引っ越しの算段をする姿をみかけます。しかし、すべての受験生が、希望通りの結果になったわけではないでしょう。

私も、大学に落ちた経験がありますが、合格者の何倍もの不合格者がいるということを、そのとき初めて知りました。人生で経験した最初の挫折です。当時、とある予備校で、今はすっかり有名人になった秋山仁先生の授業を受ける機会がありました。彼はタクシーの運転手をして、東京理科大の学費を稼いでいたそうです。秋山先生は、医学部志望が集まった教室で、私たち生徒に向けて、こう言い放ちました。「君たちは偏差値の高い大学に行きたいのか。それとも、医者になりたいのか。医者になりたいなら、来年は必ず合格する大学を受ければいい。」この言葉は、今でも、私の心の中に深く突き刺さっています。

受験勉強の毎日で他人との競争が続くと、テストでいい成績をとること、偏差値の高い大学に行くことが目標になってしまい、「何がしたくて大学に行くのか」、という根本的な命題に向き合う余裕もなくなってしまいます。

そんな僕たちに、秋山先生は、「この予備校の医学部選抜クラスに入れる生徒なら、大学を選ばなければ、医学部に合格するのは簡単でしょう。ならば、こんなところで時間を無駄にするより、早く医者になって、一人でも多くの患者さんを救いなさい」と言ってくれたのです。

もうひとつ、秋山先生の忘れられない授業があります。彼は、数学の問題を、何通りもの方法で解いていました。正統法の解き方は、たくさんの数式を使って解答するので、相当の時間がかかる難問でした。それを、図形として考えると、あっという間に答えが見えてきました。「答えをたどりつくために、何通りもの方法を考えて、一番、簡単で確実に答えがでる方法を選ぶのが、賢い人間のやり方です」と先生は言っていました。

つまり、物事は多面的なものだから、ひとつの解決法にこだわらずに、たくさんの方向から眺めることで、本質がみえてくるということだと思います。「物事を多面的に見る」これは、私の人生訓になりました。

医学博士の論文を書いていたときも、臨床医として患者を治療するときも、選択肢を考えて、より合理的な解決法を目指すようになりました。人と接するときにも、人は多面的な存在だから、一面だけを見て決めつけてはいけないと念じています。ただし、これは自分の短気に流されてしまうことも正直に言っておきます。

合格すると、桜咲く。不合格だと、桜散る。そんな合格発表をしている学校は、もう無くなったかもしれませんが、桜の散った方に言いたいのは、桜は、また、咲くのです。受験勉強のために、生きているのではありません。その先に、何をするのか。何がしたいのか。そこに、本当の自己実現と競争の社会が待っています。桜が散った方は、多面的な人間の一部が評価されたに過ぎません。また、咲けばいいのです。偏差値で人を測ることはできません。偏差値が高いから、幸せになれるとは限りません。これは、偏差値の高かった僕が言うから間違いありません。

桜が咲いた方には心からの拍手を、桜が散った方には心からのエールを送ります。ただ、覚えておいてほしいことがあります。「桜は咲き、散り、また、咲きます。」

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