一昨年の夏に亡くなった僕の父は、物に執着のない人で、終の棲家となった老人ホームには衣類の他には、がらくたが詰められた小さな菓子箱が一つだけ残されており、これが遺品のすべてであった。
見たところ、古い鍵や老眼鏡などばかりで、かたづける気もなく放っておいた。去年の末に、思い立って箱の中身を整理したところ、三十年前、僕が父親の還暦祝いに贈ったロンジンの時計をみつけた。僕は父の三十歳のときの子なので、自分の歳に三十足せば、親父の歳になるので計算しやすい。
なにしろ、父親は贅沢とは縁がなく装飾品など身に着けぬ人だから、還暦祝いは奮発しようとこの腕時計を贈ったのだ。何度もデパートの時計売り場に通い、いくつも腕に着けてみて、ようやく金メッキの文字盤の時計に決めた。
親父がその時計をつけているのは、あまり、見かけなかったが、最後の菓子箱に残っていたというのは、大事にしてくれていたのだろう。だいぶ汚れて、とっくに電池は切れて止まったままだが、せっかくだから使えるようにしようと思い、オーバーホールにだしてみた。それが、先日、ピカピカの新品のようになって帰ってきた。まるで、親父に送ったときと同じ。
親父の還暦祝いに送った時計は、三十年たって、自分が還暦になった歳に帰ってきた。そっと腕に巻いてみると、革バンドについていた親父の腕の跡は、思いの外、細かった。
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