ボクの寅年年表

寅年

ボクは、昭和37年(1962年)の暮れ、宮崎で生まれました。その日、宮崎ではめずらしく雪が降った寒い日だったそうです。おくるみから少しだけ顔をだしたボクは大変可愛かったと母はよく言っていました。この年は、2年後に東京オリンピックを控え、オリンピック景気に沸く高度成長時代の真っ只中でした。翌年には、日本初の原子力発電所が稼働し、鉄腕アトムも放映されました。

最初の年男は昭和49年(1974年)。12歳のボクは中学受験の準備をしていました。少しばかり成績がよかったのと、何より公立の中学校は坊主にされるので、それが嫌だったのが最大の理由でした。2年前の1972年には、札幌オリンピック、沖縄返還、日本列島改造論の田中角栄首相が誕生し、日本が力をつけていく時代でした。

2回目の年男は昭和61年(1986年)。ときはバブル時代でした。ハイレグに真っ赤な口紅、ソバージュヘアー、太眉にボディコンの女性がディスコで踊る、ハイテンションの時代でした。その頃、研修医のボクは、一日中、ポケベルが鳴り響き、入浴中にも耳鳴りがするほど、病棟に呼びつけられる毎日を過ごしていました。クリスマスイブにはフランス料理、忘年会の帰りにはタクシーがつかまらない、思えば異常な日々でした。

3回目の年男は年号も平成に変わって10年、平成10年(1998年)。36歳のボクは、アメリカのワシントンDCで留学生活を送っていました。ect2という癌遺伝子の機能解析が私の仕事で、この決定的なデータがでたのは7月7日、真っ暗な部屋の中で蛍光顕微鏡を見つめていたときでした。そのとき、部屋の天井を見上げると、見えるはずのない天の川が光っていたのを覚えています。しかし、日本ではバブルが崩壊し、平成不況に突入しました。右肩上がりの時代は終わり、デフレの時代です。以後、この国は本質的な経済回復をとげることなく、失われた時間を過ごしています。

4回目の年男は平成22年(2010年)。その2年ほど前に弟とニューヨークへ旅行したのですが、その日がまさにリーマンショックの日でした。空港のTVでは、CNNがみるみる間に株価が落ちていくのを中継していました。こんな時期にアメリカに行っていいんだろうかと思いながら旅立ったのですが、幸い、まだ一般市民には事の重大さがわかっていなかったようです。年男の翌年、2011年3月11日には東北大震災がおきました。人も建物も押し流していく津波、天井の吹き飛んだ原子力発電所、永遠に忘れることのない出来事でした。

そして年号は令和に変わり、今年は5回目の年男ですから還暦になります。ボクの勤務する病院は60歳の誕生日で定年になります。自分では若いつもりでいましたが、そういう順番が回ってきました。願わくは定年までに、新型コロナウイルスの収束にめどがついて欲しいものです。withでも、afterでもない、beyondコロナの時代へ。ボクの好きなトイ・ストーリーの言葉、「無限の彼方へ、さあ行くぞ!」(To infinity, and beyond!)

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